2010年06月14日

私の人生語ります

私の人生語ります

先日は、私の人生を語り始めて、つらくて途中でやめましたが、今日か

ら気を取り直して続きを書き始めます。


中野に住む伯父夫婦の元に、実母とし子が私を置きにきたとき、赤い鼻

緒のぞうりをはいて、私は1歳半ぐらいだったと聴いています。その日

はいつまでも泣き続けて、養父母は大変困り果てたらしいと実母から後

に聞くことになります。

これも変な話で、私を捨てたも同然の実母がそんな話をするんですか

ら。

実は、あとでお話することになりますが、私が小学校6年生のときに養

母が、中学2年のときに養父がなくなって、私はまた野田の実の両親に

引取られるのですが、すぐに、家を追い出され、近所の本屋さんで住み

込みで働きながら、中学校の残された時間を過ごしたのです。

この辺のことは、また後ほど。

6歳のとき

中野区立野方小学校に入学しました。養父母は私をとても可愛がり、六

年間、学校の送り迎えをしてくれました。養母はかたときも私を離さ

ず、いつでも一緒に連れて歩くので、腰巾着と言われました。遠足や運

動会のときには、明け方4時ごろからお弁当を作ってくれていました。

7歳のとき

七五三のお祝いに、養父の友人川越屋呉服店で、加賀友禅手描きの着物

に二枚重ねの襦袢、緋の襦袢に重ねた手鞠柄の長襦袢をいつまでも大切

にして、養父母の亡き後も、その思い出にひたっていたものです。

6歳の6月6日より日舞の稽古と長唄のお稽古を始めました。長唄はめ

きめき上達しまして、養老院の慰問や中野区の祭りにひっぱりだこでし

た。

今日はここまで。また明日にしましょう。

今日は、私がふと、こんな梅雨ドキなのに、雪を思い作った演歌用の詞

をご紹介します。作詞するのが精神的にいいのは、時空を超えて、その

ときそのときの自分の思いを陳べることができるからです。

どなたか、この詞に曲をつけてくださらないかなあと、まるで夢みたい

なことを考えているのも楽しいものです。

演歌「雪」
游芸真千子作詞

一 凍てつく心 忍ぶ路に
   迷う悲しや 女の未練
  降る淡雪と 溶けて
   実らぬ 恨み雪
二 晴れて逢われぬ 人故に
   迷い迷いて 吹雪の夜道
  どうぞ叶えて
   一目逢いたや 焦れ雪
三 恋は通さぬ 通せんぼ
   積もりし雪に 涙も凍る
  せめて夢路で 
   ああ 添えるなら、夫婦雪




posted by あぶさん at 16:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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