2009年12月31日

私の最初の三味線体験

私が六歳のとき

私は、5,6歳のときに、隣の家が、邦楽のお師匠さんで、いつも、三味線の音と唄の声が聞こえていました。

そのなかで、娘道成寺がすっかり気に入り、その歌詞をそらんじてしまい、しょっちゅう口ずさんでいました。そんな私の様子をみて、自身三味線を弾く養母が(私は訳あって2歳になるかならないうちに生みの両親には捨てられました)、私にはじめて三味線を与えてくれました。大人用の三味線の真ん中あたりに枷(かせ)をかけて、6歳の私が手に持って弾けるようにしてくれました。枷かけて弾き、唄ったのは人形でした。それを終ると枷は外されました。

私は、とても、覚えが早い子どもだったようで、つぎつぎと曲を覚えていきました。明けの鐘、黒髪、宝船、寿、末広がり、松の緑と、みな唄を暗誦し、そのころから弾き語りもしていました。

小学校5年生のときには、鶴亀を、それこそ大好きになり、とことん稽古して、近くの養老院を何度も慰問して、弾かせていただきました。

私の今日ある原点は、この子ども時代の養母とのお稽古にあると思います。養母は、私が小学校6年生のときに心の病で亡くなり、本当に悲しいことでしたが、今でも、私の音と唄のなかに生きていてくれます。感謝の思い出一杯です。

その後、年を重ね、さらに、小鍛冶、菖蒲浴衣、都鳥、越後獅子と、中学校2年生の半ばで、養父もなくなり、当時住んでいた中野を離れるまで、近所のお師匠さんに習っていました。

それからは、芸者置屋に住み込みでの生活が始まり、今、振り返ってみても、波乱続きの人生でした。

こんな私の思い出などは、本格的なプロである先輩の皆様からみれば、自慢にもならないとよく存知ておりますが、今日で、平成21年も終わりかという日、ふと、過去の思い出に身を噛まれて、ここに書き記しました。私には、三味線と唄しかないということを改めて感じた次第です。

こうして、ブログを書いている今、私の愛する猫あぶちゃんは、くしゃみをしたあとの鼻ちょうちんを鼻にくっつけたまま、天下泰平、のうのうと手足を伸ばして、お布団の上で寝ています。

皆様、本年は本当にお世話になりました。ありがとうございます。

では、よき新年をお迎え下さい。

游芸真千子
posted by あぶさん at 12:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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