一週間のお休み6月26日のブログ以来、今日まで、ブログを書かないできました。
読んでいてくださる方に、すみませんとまずお詫びします。
お稽古は、いつもどおり、順調に進んでいますが、最近、昔のお友達から人生相談を受けることが多く、ときどき、自分の方が落ち込んでしまうことがあります。
私は、自分の人生を語るを中断していますが、本当に、人様には分かっていただけないような辛酸を嘗めてきました。
生みの両親に捨てられ、2歳から14歳まで養父母に育てられ、養父母の死と同時にまた冷たい生家に引き取られました。
中学卒業と共に、女中奉公に出され、そこでひょんなことから芸者に出るようになり、それでも、身寄りに憧れ、家庭生活にあこがれた私は結婚し、男の子を産みました。
けれども、主人の暴力に心身ともに疲れ果て、子供をつれて、家を飛びだし、離婚調停で離婚が成立したのも束の間、実の母親の裏切りで、子供とともに隠れ住むように住んでいた家を元の夫に知られて、私がやとな芸者で踊りの仕事を終えて帰宅すると、子供は連れ去られ、十日間近くえびのように体を曲げてもだえ泣きしました。
それから、本式に新橋の芸者になり、三味線の修業に打ち込み、新橋芸者では十数年ぶりの地方(じかた)の三味線弾きになり、東踊りやその他の催し物で三味線を弾きました。そして旦那さんにも出会ったのですが、その方は、出会って9ヵ月後に亡くなってしまわれ、それからの私の人生は文字通り激浪に翻弄される人生でした。
それでも、生きてこれたのは、三味線と唄があったからです。私の孤独な生活の傍らには、いつも、三味線があり、唄がありました。もし、それがなければ、私は、きっともっと寂しい人生を送っていたことでしょう。
でも、だからこそ、今は、多くの方々の人生相談に耳を傾けることができるのです。これからは、もっと、人生相談を引き受けようと考えています。
聴耳屋まちこ